ヤングキングで連載していた「鬼門街」が休載していたことで、世間には様々な噂が流れました。現在では、待ち望んだ連載再開がされ、ファンは大喜び。

一時期は打ち切りとの噂もありましたが、無事連載が再開されて何よりです。作者・永田晃一さんの死亡説も流れましたが、もちろんご存命です。噂の真相を調べてみました。

【最新情報】鬼門街が連載再開!(2023年11号)

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2021年13号(2021年6月14日発売)から、約2年間ほど休載をしていたヤングキングの漫画「鬼門街(きもんがい)」が、ついに2023年10号(2023年5月発売)から連載が再開しました!

鬼門街ファンからはSNS上で、早く再開して欲しいとの声がたくさん挙がっていましたよね。

大人気漫画なのに、休載したまま失踪してしまったり、そのまま辞めてしまう作者もいたりするので、「鬼門街」がそうなってしまわないか、気が気ではないファンも多かったでしょう。

無事に再開して、おめでたいです!

鬼門街は打ち切りではなく休載していた(2021年13号~2023年10号)

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鬼門街の本編と合わせて、ヤングキングBullにて連載中だった「児童養護施設で育った俺がマンガ家になるまでの(おおよそ)8760日」も一緒に、2021年7月発売の号から休載になっていました。

約2年間に渡って休載していたことから、世間では鬼門街が「打ち切り」になってしまったのでは?と噂になっていました。他にも「最終回を迎えていて実は既に完結しているのでは?」と考察するファンも現れました。

結論はもちろん、打ち切りではなくて単なる休載だったのですが、それではなぜ鬼門街は休載することになったのでしょうか。

鬼門街が休載していた理由

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鬼門街が休載していた理由については、はっきり公式で発表されたものはありませんが、いくつか囁かれている話があります。

充電期間を取りたかったから

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永田晃一先生は、2004年に「Hey!リキ」で漫画家デビューして以来、2015年まで連載を続けてきました。10年以上突っ走ってきています。

そして「Hey!リキ」が完結して連載が終了した途端、今度は「鬼門街」の連載がスタート。全15巻を書き上げたところまで、一切の休みなし状態です。

ここまで猛烈に稼働して作品を作り続けてきた永田晃一先生が、少々息切れして「充電期間が欲しい…」と考えても不思議ではありません

というか、ファンとしてはむしろそろそろ一息入れて休んで欲しいとすら思いますよね。

倒れられてしまっては作品の続きも見られなくなってしまいますし、ゆっくり休んで欲しいところです。

鬼門街の作者・永田晃一の死亡の噂

鬼門街の作者・永田晃一さんが死亡したのでは?という噂まで立ちましたが、結論、こちらの噂はもちろんデマです。

そもそも休載期間に入ってからも、ご本人の公式SNS(X)は引き続き日常のポストがされていました。

散歩中に見つけた植物の写真をポストするなど、身も心もしっかり休めているのだなという印象でした。

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友人と釣りに出かけたり、映画を見たり、家庭菜園をしたりと結構楽しんで生活されている様子が伺えました。

休載期間真っ只中の2022年には、ほぼ毎日ポストしているレベルの頻度だったので、死亡説は真っ赤な嘘でしょう。

漫画家は心身ともに疲弊しながらも作品を生み出し続けなければならない過酷な職業なので、こういったリフレッシュ期間が必要なのでしょうね。

鬼門街を執筆した理由は親友の理不尽な死

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鬼門街は、世の中の不条理さを自分事として捉えて考えて欲しいという思いを込めて作られている作品です。執筆のきっかけをメディアのロングインタビューで語っていました。

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よく一緒に遊び、単なる友人に留まらず「親友」と呼べるほどの存在だったマー君こと太田雅人(まさひと)さんは、2013年11月に亡くなりました

太田雅人さんは理学療法士として働く真面目な男性でしたが、事件に巻き込まれてしまい、暴行の被害者となってしまったのです。

バーで法外な金額を請求されて、拒んだところを執拗に暴行されたとのことでした。

別の友人から「マー君が意識不明で病院に運ばれた」と電話を受けた永田晃一さんは、新幹線に飛び乗り病院へ向かいます。

体中が管につながれており、顔面は3倍ほどの大きさにまで膨れ上がっていたそうです。その翌日、雅人さんは亡くなってしまいました。

犯人らは後日逮捕されましたが、それでも雅人さんは戻ってきません。

身近な大切な人が、何も悪いことをしていないのに〇されてしまったという「理不尽な死」を経験した永田晃一さんは、世の中の不条理さを自分事として考えて、日々を過ごして生きて欲しいという願いを込めて鬼門街の作品作りを開始しました。

こういった悲しい人生経験から生まれた作品だからこそ、多くの人の心を掴む作品となったのでしょう。

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