キャシー中島の長女の夫(娘婿)が再婚?肺がんの娘ななみ死去

キャシー中島さんの娘・長女の夫再婚したらしいという話を聞いたので、その真相を調べてみました。

キャシー中島さんの長女ななみさんは、肺がんで既に亡くなっています。

享年29歳(2008年)で早すぎる死でした。娘婿として長女を支えてくれた夫・猪田武さんは、どんな方なのでしょうか。

キャシー中島の娘、長女の夫が再婚した話の真相/娘婿・猪田武への感謝

キャシー中島さんの長女・勝野七奈美さんは、5年間の交際を経て、猪田武さんと結婚しました(2008年11月)幸せいっぱいの結婚生活だったのですが、ななみさんに2009年2月、肺がんが見つかります。

しかも、ななみさんの肺がんは5年生存率が極めて低く、肺がんが見つかってから5ヶ月後、ななみさんは帰らぬ人となってしまいました。

その後、長女の夫・猪田武さんが再婚したらしいという話があったのですが、調査してみたところ、そんな事実はありませんでした。おそらくガセですね。

おっさん
本当に再婚していたなら、ニュースにもなるだろうしな。一切メディアで触れられてないってことはガセネタってことだよな。

また、他にも再婚の話がガセだと考えられる事情が多々あります。というのも、猪田さんは今も勝野家と深く関わって事業を進めているからです。

2人は2007年に、七奈美さんがジュエリーデザイナーでもあったことから、猪田さんと共にアクセサリーショップ「Manna Island(マナアイランド)」を設立しています。

デザイナーはもちろん七奈美さん(NANAMI)で、天然石や貝、パールやサンゴなどの素材を使ったハンドメイドアクセサリーを制作し、南青山で路面店を出店していたのです。

その後、商品数の増加などを受け、路面店を南青山から三軒茶屋店へ移転…
2009年から株式会社化して「株式会社Manna Factory(マナ・ファクトリー)」を猪田さんが代表取締役になって設立しました。

株式会社マナ・ファクトリーでは、ダンサーである猪田さんのイベント事業やダンス事業、音楽事業を増設すると共に、当時、闘病中であった七奈美さんの意志を受け、”がん”啓発の為のチャリティー事業が事業内容に加えられています。

マナ・ファクトリーの会社概要には、役員にこのような記載があります。

  • 代表取締役社長:猪田武
  • 取締役副社長:勝野洋輔
  • 取締役:勝野雅奈恵

この株式会社マナ・ファクトリーは現在も代表取締役が猪田さんですが、取締役副社長に七奈美さんの弟・「勝野洋輔」さん

取締役には同じく七奈美さんの妹である「勝野雅奈恵」さんが務めています。

この点から猪田さんがキャシー中島さんのファミリー(勝野家)と未だに交流があり、深い関係にあることがわかります

これだけガッツリ勝野家に関わっていたら、再婚をしているとは考えにくいですよね。

しかしながら、キャシー中島さんは猪田武さんに対して、自身の公式ブログでこんな温かいメッセージを残しています。

武ちゃんに聞きました、あなたの人生よ、まだ若いのだから 次に向かって、歩き出していいのよと、武ちゃんの返事はここに書く必要はないでしょう。

とても大切な言葉でした。私達家族の宝です。(2009年9月13日抜粋)

義理の息子、武ちゃんが会場に来てくれました!
本牧出身の武ちゃん、熱心に展示を見ていました!(2014年8月20日抜粋)

武ちゃんは私達ファミリーの一員であり大切な人です!

武ちゃんが一人になりたいと言うまで、私の義理の息子でいてほしい。

猪田武は勝野家には必要な人です。
だから、一緒にいるのが自然なのです。

おばはん
「あなたの人生よ、まだ若いのだから 次に向かって、歩き出していいのよ」っていうのは、たぶん「再婚してもいいんだよ」っていうメッセージよね。
おっさん
でも「義理の息子」っていう言葉を使っているところを見ると、やっぱりまだ再婚はしてないんだろうな。

キャシー中島さんの愛を感じる言葉ですよね。

逆に、既に再婚をしていたら、こういう言葉って出てこないでしょうし、ビジネス上の関係性を続けていくことも難しくなるのではないかと考えられます。

そのため、再婚したという情報はガセなのではないかということなのです。

キャシー中島の長女(娘・ななみ)死因は肺がん「タバコ吸ってなかったのに…」

2009年2月、新婚旅行先であったハワイで「咳が止まらない」などの体調不良を訴えた妻・七奈美さん…病院での検査の結果、肺癌(小細胞肺癌)が見つかるのです。

小細胞肺癌(しょうさいぼうはいがん)というのは、喫煙者に多いがんです。かなり手ごわいがんで、増殖が速く、転移もしやすいです。

治療法は薬物療法や放射線療法に対する効果が高いものの、5年後の生存率は5~10%と極めて低いとも言われているがんでした。

七奈美さんはカテーテル治療や重粒子線・陽子治療などを試みましたが、2009年7月7日に七奈美さんは帰らぬ人となってしまいます。

本名は「勝野七奈美(ななみ)」さん、父親「六洋」と母親「八千代」の間の数字、「七」の文字をつかって名付けられた名前です。両親の愛情を感じる命名ですよね。

おっさん
1979年生まれだったから、享年29歳。若すぎる死だな…。2008年11月の結婚からわずか8ヶ月。

ななみさんの治療エピソード

生存率はわずは6%と聞かされたななみさんでしたが、そこで悲観的になったりせずに、前向きに治療に取り組みました。

「小細胞がん」という、特に進行の早いタイプのがんで、生存率わずか6%と宣告されます。

勝野ななみさんはあくまでも前向きに、

「その6%に入ればいいんでしょ」
「治らなくても、がんに負けなければいいんだ」

と、様々な治療を試しますが、額や骨など、身体の様々な部位に転移が進んでいきました。カテーテル治療や重粒子線・陽子線治療など、様々な高額な最新治療に当たってみたといいます。

しかし、がんの進行を食い止めることはかなわず、同年7月7日に29歳の若さで息を引き取りました。

葬儀と告別式は、千日谷会堂(新宿区・一行院)で行われました。喪主は夫の猪田さん。

ところで、ななみさん、実は喫煙者ではなかったのです。それにも関わらず、肺がんの中でも一番最悪な「小細胞がん」になって亡くなってしまうとは…。

おばはん
運命って残酷ね、、

2009年1月末に具合が悪くなり、さらに年末年始という時期もあって、小さな病院での診療をするにとどまりました。

気管支炎だと診断され、その薬を片手に新婚旅行へ出かけたのです。結婚式もあったし、疲れがたまっているのだろうと思ってそのままにしておいたのですが、咳は治るどころか日に日に悪化。

旅行から帰国後に池尻の大きな大学病院で検査を受けたところ、肺炎と診断。

おっさん
それでもまだ「肺炎」の診断しかされなかったんだな。

本人たちも気管支炎のまま旅行なんてしたから肺炎に進行してしまった、位にしか考えて居なかったんでしょうね。

まさかこれが「肺がん」だったなんて、その頃は知る由もなかったわけです。

当然、肺炎の薬で良くなるわけもなく、今度は鎌倉の病院で精密検査を受けました。そして、ついに「肺がん」であることが発覚したのです。

検査の結果は肺がん…肺がんは早期に発見し治療すれば8割は快方に向かうと言われているがんです。

肺がんと診断されてもなお、キャシー中島さんをはじめ、家族も、またななみさん本人も、この時点では希望を捨てていなかったと思います。

しかしその後、国立がんセンターで再度検査を進めると、肺がんの中でも進行が早くて最悪な「小細胞肺がん」であることが判明したのです。

この日のことについて、キャシー中島さんはブログでこのように語っています。

その日は勝野の35周年の特別公演を日本橋の三越劇場でやっていて、次の日が千秋楽でしたので、誰にも言えませんでした。

(中略)

もっと早くがんということが分かっていたら、こんな結末にならなかったのでしょうか。

本当に本当にがんの中でも、小細胞がんは最悪ながんです。私はただ側で見ていることしか出来ない母親でした。

小細胞がんが最悪といわれるのはなぜかというと、転移が早すぎて、発見される頃には既に末期になっていることが多いからです。

手術では取り除ききれないレベルで全身に転移してしまってから、ようやく発見されるってことです。見つかってからでは、どうしようもないのです…。

ななみさんの過酷な闘病生活

闘病生活について、キャシー中島さんはブログに辛い心境をつづっています。

食べたいのに食べられなかったね。
のどが痛くて痛くて がまんしたよね。
最後に食べたのがピオーネ!
それも一粒の半分をやっと。

今日は8回しか泣いてないよ、前進だね。
ななみ!ママを褒めてね

長女・ななみさんの死後はこんな内容がくりかえしつづられています。時が経ち、周りの方の支えもあり、徐々に立ち直ってきている様子の頃の話です。

長女・ななみさんが亡くなる8ヶ月前の結婚式のことを、みんな口をそろえて綺麗だったといった話から、あまりにもななみが美しかったから、神様がそばに置きたくなって連れて行ったのかもしれない…

とキャシー中島さんは感じたそうです。

そして、それから10年近く経ち、キャシー中島さんは娘のななみさんを想い、こんな言葉をブログに遺しています。

もしも10年前に戻れたら、私はななみをがんなんかにさせない。検査をいっぱいして小さいうちに取ってしまう。

もしも10年前に戻れたら、毎日愛してるって言う。生きていてくれてありがとうと言う。

もしも10年前に戻れたら、小さな体の変化も見逃さない。

もしも10年前に戻れたら、大好きだった歌の仕事をもっともっと応援してあげたい

おっさん
これは泣いてまうで、、

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