フットボールアワーの後藤輝基さんといえば、鋭いツッコミと軽妙なトークで知られるお笑い芸人です。
バラエティ番組では、たびたび子供時代の写真が登場し、その絶妙なダサさで笑いを誘っています。
現在の司会業をこなす姿からは想像できませんが、どのような幼少期を過ごしてきたのでしょうか。
今回は、後藤さんの生い立ちを振り返ります。
フット後藤輝基の子供時代と芸人になるまで
- 幼少期エピソード
- 中学・高校時代の思い出
- 大学進学を諦めてNSCへ
- 子供時代と芸人への道まとめ
幼少期エピソード
後藤さんは3人きょうだいの末っ子で、姉が2人います。
子供の頃は甘えん坊でしたが、家庭では厳しい父親のもとで育ちました。
食事を残すと、箸でおでこを叩かれることもあったそうです。
幼少期からお笑いに触れる機会は多く、漫才好きな姉に付き合わされ、いやいや漫才番組を観ていたこともありました。
また、親がおもちゃをほとんど買ってくれず、クリスマスプレゼントが図書館の本だったこともあったとか。
超合金のロボットを欲しがった際には、父親が木の人形を作り、胸にマジックで「ロボット」と書いて渡されたというエピソードもあります。
小学校時代には、すでに芸人への憧れを抱いていた後藤さん。
中学時代には母親と二人で旅行に行き、その際に母から「離婚しようと思っている」と打ち明けられたという出来事もありました。
中学・高校時代の思い出
中学時代は、大阪市立柴島中学校に通っていました。
当時から芸人になりたいという強い思いを持っており、「高校に行かずに芸人になる」と主張して、両親を困らせたこともあったそうです。
しかし、最終的には親の説得を受け入れ、高校進学を決めました。
高校は大阪府立山田高校に進学。
勉強もそこそこできたようで、当時の偏差値は50台前半だったものの、現在は60ほどに上がっています。
高校時代の大きな転機となったのは、音楽との出会いでした。
高校1年生のとき、家にあった父親のガットギターを手に取り、独学で弾き始めます。
特に影響を受けたのが長渕剛さんで、最初はひたすら一人で弾き語りの練習をしていました。
その後、高校2年生の夏休みに1カ月半のアルバイトをし、貯めたお金で長渕モデルのフォークギターを購入。
このときにギターに本格的にのめり込み、今の芸風にも影響を与えていると言えます。
また、見た目に関するコンプレックスもあったようで、短足を気にするあまり、脚を長く見せようとズボンを上に引き上げていたところ、尿道炎になったというエピソードもあります。
大学進学を諦めてNSCへ
高校卒業後は大学進学を目指していましたが、受験に失敗。
その後、大阪北予備校に通って浪人生活を送ります。
しかし、勉強を続けるうちに気持ちが変わり、進路をお笑いの道へと変更。
親には事後報告で吉本総合芸能学院(NSC)に入学しました。
このとき、両親に土下座して許しを得たそうです。
NSCに入ってからも、最初はなかなか芽が出ませんでしたが、岩尾望さんとの出会いが大きな転機となります。
フットボールアワーとして活動を始めた当初はツッコミが苦手で、「ツッコミが古い」「口調がおっさんくさい」とダメ出しを受けることも。
しかし、研究を重ねることで独自のスタイルを確立し、現在の鋭いツッコミ芸を完成させました。
後藤さんの生い立ちを振り返ると、幼少期のユニークなエピソードや、中学・高校時代の芸人志望の強さが印象的です。
ギターの腕前も高校時代から培われたものであり、現在のバラエティ番組での活躍にもつながっていることがわかります。
厳しい父親のもとで育ちながらも、芸人への夢を諦めずに努力を続けた結果、今では数多くの番組で活躍する存在となりました。
彼の持ち味である「粋ぶっているけれど、どこか格好がつかない」というキャラクターは、幼少期からの経験が大きく影響しているのかもしれませんね。
後藤輝基の子供時代と芸人への道まとめ
- 後藤輝基は3人きょうだいの末っ子で、姉が2人いる
- 厳しい父親のもとで育ち、食事を残すと箸でおでこを叩かれた
- 子供時代に欲しがったロボットの代わりに、父が手作りの木の人形を渡した
- 幼少期から漫才好きな姉に付き合わされ、お笑い番組を観ていた
- 中学時代、母親から「離婚しようと思っている」と打ち明けられた
- 高校進学前に「芸人になりたい」と主張するも、親に説得されて進学
- 高校時代にギターを独学で学び、長渕剛に強く影響を受ける
- 貯めたお金で長渕剛モデルのフォークギターを購入し、本格的に弾き始める
- 短足を気にしてズボンを引き上げ続け、尿道炎になったことがある
- 大学受験に失敗し浪人するも、途中で進路を変更しNSCに入学
- NSC入学は親に事後報告で、許しを得るために土下座した
- NSCでは当初ツッコミが苦手で「古い」とダメ出しを受けていた
- 岩尾望との出会いが転機となり、フットボールアワーを結成
- ツッコミのスタイルを研究し、現在の鋭いツッコミ芸を確立
- 幼少期の経験が現在のキャラクター形成に大きな影響を与えている