彦摩呂さん、グルメリポート「宝石箱や~」ですっかりお馴染みになりましたが、仕事柄すっかり太ってしまいました。

今の姿からは想像つかないのですが、実は彦摩呂さんはかつてアイドル時代があり、昔はイケメンだったんですよ!

彦摩呂さん昔と今!アイドル時代、グループ活動時はイケメンだった件【驚愕】

彦摩呂の若い頃が細くて格好良すぎる。 pic.twitter.com/VmbzsJWyzX

— 井龍 (@ryuchan_20) 2016年1月9日

1988年から1990年ごろまで『幕末塾』と言うアイドルグループのリーダーろして活躍されていたと言う彦摩呂さん

左鈴気(さすけ)、彦摩呂 (ひこまろ)、雅 (みやび )、新兵衛 (しんべえ)、黒之助 (くろのすけ)、剣介 (けんすけ)、鼓太郎 (こたろう)、咲輝 (さかき)、小次郎 (こじろう)、尚舞 (なお)と10人で構成されていました。

そんな大所帯のアイドルグループの2代目リーダーとして活躍していたのが彦摩呂さんです。

彦摩呂さんは昔アイドルとモデルをやっていたのです。何だろう、イケメンすぎて逆に笑っちゃうんですよね。美少年、これはモテたでしょう。

今の彦摩呂さんは、太りすぎちゃって酷すぎて、ポテンシャルを超台無しにしているのがマジで笑えます。

彦摩呂の若い頃かっこよすぎやろ!(ラジオで、元アイドルと聞いて)。 pic.twitter.com/GYSJuw3mEI

— ブン (@warashibecho_ja) 2016年7月26日

そんなイケメングループのリーダーだったとは。実際、かなりの男前ですよね。当時の体重は56kgだったそうです。ガリガリ。

彦麿呂さんは、モデル活動と並行し、原宿でストリートパフォーマンスもされており、その中から11名の有志で、1988年2月、グループ「幕末塾」を結成。

同年5月には、「ナイスガイ・コンテスト」に、「幕末塾」として参加され、見事、準優勝に輝かれています。

ちなみにこの時の優勝者は吉田栄作さんだったので、かなりハイレベルなバトルだったことが分かります。

そして、このコンテストで、司会をされていた片岡鶴太郎さんに、「太田プロダクション」を紹介してもらうと、「幕末塾」として、芸能活動を開始。

下北沢駅前劇場で、月1回、お芝居をしたり、アイドル雑誌に登場され、1989年には、秋元康さんのプロデュースにより、ファーストシングル「Come on Let’s Dance」で、アイドル歌手デビュー

1990年には、「日本青年館」で、単独ライブを行われるなど、アイドルとして活動されたのでした。

実際の活動期間は3年ほどで、当時から個々でソロ活動をしていたようです。解散宣言などはされていないので、自然消滅した形となりました。

かなりの人気アイドルグループだったようです。歌手デビューに単独コンサート…よっぽどの人気ぶりですよ。

彦摩呂氏、若い頃は俳優業もこなしていた【まさかの二枚目路線】

当時は俳優活動もやっていて、1995年には「白鳥麗子でございます」という松雪泰子さん主演ドラマに、たぬちゃん役で出演していたのが印象的でした。

  • 『刑事貴族3』
  • 『白鳥麗子でございます』
  • 映画「ミナミの帝王」

若い頃は、映画にすら出演していたと…衝撃的でした。渋くてクールな役どころでカッコイイ。この頃は、まさか中年になったらグルメリポーターとしてブレイクするなんて考えてなかったでしょうね。想像できなさすぎ。

彦摩呂さんの今!グルメリポートが増えるにつれて、体重も増える【職業病】

きっかけは山田邦子さんの情報番組で1回お試しでリポーターとして起用されたときに、食レポが何故か上手かったことから、食レポの道へ入ります。

そして、「宝石箱や~」でグルメリポーターとして大ブレイクを果たしました。

もはや最近の方は、彦摩呂さんが「アイドル→俳優」路線を走っていたことすら全く知らないですよね。すっかり「グルメレポートの人」っていう印象です。

彦摩呂さんは、グルメリポーターとしての仕事が増えるにつれて、体重が増え、ブクブクと横に成長するようになりました。

食べるのが仕事になっちゃってますからね…多少は仕方ないとも思うんですが、それでも、食リポの打ち上げでさらに食べたりしてたそうなので、それもどうかと思いますね(笑)

食レポで美味しいものを食べていても、それは仕事なんです。自分のプライベートの食事じゃない。

だからロケが終わると、「一杯行こうか」となり、また食べる。ものすごい摂取カロリーだったと思いますね。

で、太るとね、楽しいんですよ。おばちゃんたちに、親しみをもってパチパチ肩をたたかれたり、丸っこいから子どもたちがワーっと寄ってきてお腹さすられたり。ゆるキャラですねん。

ほんで、デブタレントの集まりにも呼んでもらえるようになって。ま、太った太ったと言われていても、まだその頃は、70~80kgくらいの小デブでしたが……。

彦摩呂若い頃イケメンすぎなのにどうしてこうなった pic.twitter.com/Vz3ghEI7uS

— ゆう@Readyyy!応援 (@s_qpv) 2017年8月28日

太るのが楽しいと感じてしまったら、それは痩せられるわけないですよね。

デブ界では、70~80kgは小デブらしいw 彦摩呂さんの身長は172cmでして、計算すると標準体重は65kgですから、既にかなりオーバーしてる優秀なデブです。

ところが、40になった頃からデブの快進撃がはじまったんです。とめどもなく太っていきましたね。

年齢的に代謝がすごい勢いで落ちていたんだと思います。それでも食べる量は同じ。

飲んだ後は、〆のラーメンも食べて。10年間で一気に40kg太りました

2006年頃ですかね、40歳くらいから「快進撃」が始まってしまったそうです。中年に差し掛かって更年期でホルモンバランスが乱れて、体質がガラっと変わっちゃったんでしょうね。

120kgオーバーの化け物へ…【さらにデブの高みに登る彦摩呂】

匿名 より 彦摩呂、目が開かないほど太る…「絶対早死にする」「人の形を失いかけている」と心配する人続出 へのコメント: パパイヤ鈴木も若い頃イケメンだったと写真出たりするけど、今のキモイ姿と比べるからそう見えるだけ。… https://t.co/9dT8pc3XYx pic.twitter.com/9kE3aZuk7B

— 芸能ニュース@女子倶楽部 (@awew4jx1g1) 2016年12月20日

2010年1月には100kgを突破、2013年10月には103kg、そして一番ピークのときは120kgまでいったそうです。これがたぶん一番やばいときです。

もはや病人ですよね。命に関わるレベルの肥満では、食べているところも美味しそうに見えません。

「彦摩呂の食レポは虐待」とすら言われちゃってます…。「食ハラ」受けてるように見えちゃいますよね。

太りすぎて目もしっかり開いてないし、息をしているだけで苦しそうじゃないですか…彦摩呂さん自身も体重がやばい自覚はあるそうで、体重を減らそうとしているみたいです。

2014年11月18日放送の「ライオンのごきげんよう」では「11kg体重が落ちた」「誰も(体重が減ったと)気付いてくれない」と話したそうです。

「デブの壁を見てきましたから。これから少しずつ(体重を)落としていこうと思っています

「血糖値も尿酸値も大丈夫、タバコもやめた」体調に異常はないことをアピールしている(マネージャー談)

確かに、比べてみると少し痩せてますね。目が開いてる(笑)元々が太りすぎですから、あんまり変わってないという視聴者の意見も多いですが。

病気については、大丈夫だとアピールされていますが、まあどうなんでしょうね…このままいったら、相当怖いことになりそうです。

彦摩呂が痩せられない理由…仕事に対する信念「残さない」「完食する」

彦麻呂の仕事は、おいしい店で食べて、レポートをするというものがほとんどです。それに彼は、行った店では全部を完食するのが信念です。

それがプロだという自負があるようです

「スタッフが美味しく頂きました」ではなくて、自分でしっかり完食する。プロ根性としては素晴らしいと思いますが、しかしやはり体が心配ですね。ここまで太ってしまうと。

完食するという信念を持っている限り、痩せられないでしょうね。

一時期は、取材するのは1日3軒までにしていた。しかし、最近は出番が減ってきているので5軒でもやる

その間の休憩や間食もあるといいます。どこまで続けられるか心配です

番組だけではなく、間食もガッツリ食べているそうです。

おやつ代わりにカツ丼を食べてるって書き込みもありましたが。都市伝説ですか?

彦摩呂:合間にね(笑)。食べてる時ありました。でもほんま太りすぎて、膝にコラーゲン打ってますからね。

女のコは目元に打つでしょ? 僕らデブは膝に打つんですよ。今、だいぶマシになりましたけど。前は2週間に1回打ってましたから。

「僕らデブは膝に打つんですよ」は名言ですね(笑)

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