『千と千尋の神隠し』の超名物キャラクター「カオナシ」。気持ち悪い見た目ですが、ネットでの愛されっぷりは異常ですよね(笑)

カオナシの存在の意味&正体について、気になったことがある方も多いはず。

カオナシは、少女が成長へと向かう試練の過程に現れる欲望、すなわち悪魔サタンの誘惑を表現したものなのではないか、とも言われています。

不思議キャラクター「カオナシ」が登場した意味、そしてその本当の顔に迫ってみましょう。

カオナシの正体!本当の顔とは…?宮崎「登場させる予定はなかった」強欲っぷりが、まるで人間のよう

カオナシは正体が明らかにされていない、ジブリの中では珍しいキャラクターです。

宮崎駿氏によると、映画の初期構想の段階では「カオナシを登場させる予定はなかった」と話すほどで、後になってから存在に重要性が与えられたとのこと。

まず最初に、カオナシの正体として多く言われているのが、「欲」の具現化ではないか、ということです。

砂金で人間を釣ったり、赴くままに食い散らかしたり、それはまさに欲望むき出しのあられもない人間そのものではありませんか。

千尋は、ストーリーの中でカオナシと対峙します。それは、まさに聖人になる前の試練として、欲と闘っていることを示唆しているのではないか、と考えることができるのです。

中でも、カオナシは「人間の欲が具体化された存在ではないか」とのこと。砂金をダシに千尋に近づこうとしたり、これを使って従業員の心を惑わして飲み込んだりと…

いわゆる欲望を自由自在に操り、自身も強欲な存在なのです。そんな姿が欲の中で生きる「人間そのもの」と例えられることもあります。

宗教の世界では「欲」は忌み嫌われる存在とされていて、キリストやブッダも成人になる前に自身の欲と向き合う試練を受けたとのこと。

そんなことから、カオナシの正体はその「試練の過程による欲」だとも言われています。

思春期の千尋が成長する過程を描いているので、その途中に現れるカオナシは、誘惑をして千尋に試練を与える役割を担っていたと考えることができます。

さらにもっと言うと、これは「悪魔・サタン」を表現しているという説もあります。

カオナシの正体はサタン(悪魔)だったのではないか?電車のシーンに隠されたメッセージ

欲望を乗り越えることと被ってきますが、カオナシは「悪魔サタン」を表現したものではないか、という説もあります。

大きな根拠は、電車でのシーン。窓の外に一瞬「サタン」の文字が写ります。制作陣がしれっと入れ込んだメッセージなのではないかと言われています。

カオナシは、お釈迦様やイエス・キリストが、悟りをひらく際、修行中に、誘惑し邪魔する悪魔があらわれますが、それと同じ存在だと思います。

新約聖書によると、イエス・キリストは、悪魔の誘惑を全てはねのけたとしています。 千(千尋)も、カオナシのお金などの誘惑をすべてはねのけることができ、成長できました。

「千と千尋の神隠し」のアニメは、思春期前の千尋が大人に成長してゆくストーリーなので、千尋の成長、そしてその成長過程で、悪の誘惑をするのが、カオナシ。

カオナシは、人とのコミュニケーションをもたず、他の人への思いやりや配慮がなく、ただ自分の欲望だけを押し通す、ストーカー的な存在です。

彼の暴食は、精神が満たされないための摂食障害を示し、自分の思い通りにならないと暴れるのも、精神的に余裕がなく、安定していない証拠です。

しかも、銭婆に会いに行くのに降りる駅は「6つ目の駅」でした。6っていうのは、悪魔の数字とよく言われていますので、ここでも悪魔を連想させるような要素が入っています。

さらに、聖書の中でサタンが最後の辿り着いてしまうのが「底知れぬところ」です。

千と千尋の神隠しの作品中に登場する「沼の底駅」という名前は、聖書の話から来ていると考えることもできるのです。

異世界の住人説!映画のパンフレットにヒントが隠されていた!?

千と千尋の神隠しの映画パンフレットには、カオナシがどんな存在なのかが書かれていたのです。

「湯屋のある世界とは別の場所からやってきた謎の男己というものを持たない悲しい存在

性別あったんですね(笑)

ストーリーの中では他の人を飲み込んだり、取り込んだりすることでカオナシは変化し、表現をしています。自分自身で変化をしているわけではないですよね。

表現が全て他人からの借り物なのです。団子を食べて、全部はき出してすっかり元通りになってしまったことからも、何も身についていないし、上っ面だったということが分かります。

無個性の塊「自分の意見を持たない」

カオナシは他の人を飲み込んで運動能力を手に入れたり、言葉を手に入れたりします。どこにも個性がないのです。

「他人の声を使わないと意志を伝えられない…主体性がない」

パンフレットにはこのように書かれています。自分の頭で考えて、自分の体で行動して、そして主張を表明する…それこそ主体的に生きていることの証左だと思います。

しかし、カオナシはすべての表現が他人から奪ったものなのです。他人と同調するだけ、無個性の象徴です。

そういう現代人とシンクロさせたような存在、それがカオナシなのです。

カオナシは「今どきの若者」を表現しているらしい

かなり特徴的なキャラクターであるカオナシは、まさに「現代の若者」を象徴しているとする意見もあります。そう言われる理由は3つ。

若者の象徴と言われる理由
  1. 「あ…」「え…」等、コミュニケーション能力が低い
  2. 砂金で解決しようとする
  3. 我慢ができない→すぐ暴言を吐いて暴れる

そもそも千尋自体、現代の無気力な若者を体現している部分があるので、カオナシもそういった現代社会に生きる若者世代を表しているといっても、不自然ではありません。

ただ、上記3つの特徴って、正直なところ ”ご老人” 世代の方がより強く当てはまる気がするし、引いては全世代にあてはまらなくもない気がする(笑)

ですので、何とも言えませんよね。どの世代もオワってますから。

宮崎駿氏「カオナシは誰の心にも存在する」居場所のない不安定な存在

宮崎監督の「カオナシは誰の心にも存在する」というコメントから、カオナシは居場所のない不安定な存在だ、と考察する人もいます。

実際にカオナシは「さみしー」という口癖を発しているわけだし、千尋に故郷や親について聞かれた時、困惑していたわけだし。

そんな居場所がなくて不安定な存在だから、顔がない、はっきりしないという事でカオナシとなったのだろう。

居場所がないと人間、生きられないですよね。

家庭か会社か学校か、はたまた趣味の場か、どこかに1箇所は自分の居場所と思える場所がないと、寂しくて生きていられません。

最後に銭婆から「ここにいなさい」と言われたときにカオナシがうれしそうにしていたけど、自分の居場所を見つけることが出来たからこそ、あの時うれしそうにしてたのだろうと思う。

このように、人間の持つ心の不安感を具体化した存在がカオナシなのではないか、と言われています。

そうであるからこそ、宮崎監督は誰の心の中にもいる、とコメントしたのではないか、と考えられます。

宮崎「人を好きになったあまりストーカー的行為に出ることや耐えられないさみしさや、キれるという言葉に代表される鬱屈した感情の発露などはすべての人間が持つ本質である。

カオナシは私たち誰しもが持つ性質を結晶させた現代日本人そのものだ。」

若者世代の象徴という説がありましたが、あれは誤りで、世代に限らず「日本人の心の闇」として描いたのであろうといえます。大人になりきれていない大人なのでしょう。

幽霊的存在、妖怪的なものと考える説

「顔無し」という存在が地方の農村などでは、神様を侮辱したりいたずらをしたり、悪さをするとついてきたり、呪いをかけたりするという言い伝えのようなものがあるようです。

「神隠し」と呼ばれる類の話が存在しますが、それを引き起こしているのがこの「顔無し」だという話もあるのですね。

こうした伝承では顔無しがイタズラした人に対し、恐ろしい呪いをかけ、その人の顔を奪い取ってその人として人生をのっとって変わりに生きていくと伝えられています。

「神隠し」でわかるように、タイトルとも関連づいた伝承話です。

ジブリ作品には、毎回毎回、強いメッセージが込められているので、こういった説は稚拙だと言われて、あんまり好まれませんね(笑)

伝承を模しただけ、奥にストーリーがない、というのはジブリファンとしては物足りないのかもしれません。

カオナシの正体とリンの関係性

正体が不明なキャラクターは他にもいて、千尋よりも少しお姉さんの従業員「リン」も不思議な存在です。

面倒見のいい姉御肌のリンは、ちょっと男勝りなところのある女の子。油屋で働くことになった千尋の世話を焼いてくれるのですが、その正体についてはよくわかっていません。

初期設定の原案かどこか忘れてしまったのですが、リンのキャラ設定では白狐びゃっこの文字が出ていていたそうで、可能性は高そうです。

リンの設定になっている白狐は、人を騙すのではなく、人間に幸福をもたらすよい狐、「善狐」といわれている存在

お稲荷さんに祀られているのも、この白狐です。劇中でリンが人間の千尋をしばしば助けてくれたことと重なる気もしますね。

カオナシのモデルとなった人物は「米林宏昌」監督!

これは、ファンの間ではかなり有名な話で、当時ジブリ担当をしていた、米林監督がカオナシのモデルになったのではないかと言われているんです。

共演者・製作陣らの間では「分かる!」とよく言われていたんですが、これには裏話がありました。

長年、言われ続けてきた『千と千尋の神隠し』のカオナシのモデルが米林監督だというエピソードについて言及。

実際にはカオナシのシーンを僕が描いてたんです。それを宮崎さんがラッシュで観て『麻呂(=米林監督のニックネーム)じゃないか!(アニメに)入ってきた』

と言ったのが、いつの間にか僕がモデルと言われるようになった」と真相を説明した。

カオナシのシーンを本当に担当していて、そのときの宮崎駿監督とのやり取りが原因だったんですね。モデルになったというより、文字通りカオナシを生み出した本人だったということなのです。

元々のカオナシの原案を見てみると、もっと人間っぽくて若干の爽やかさすらあります。

最初は、カオナシって端にいるだけの本編に関わらないモブだったらしいのです。

しかし、物語を練るごとに、そして時間的制約や予算的制約を考慮するごとに、展開が変わっていき、引いては重要ポジションに出世したんです。

謎なキャラ設定、しかも元々モブだった等、カオナシは成り立ち自体不思議がキャラクターですよね。

そのおかげで様々な推測、憶測が飛び交い、非常に議論はカオスな状態になりました。

一般大衆をそれほど虜にしてしまうくらい、影響力のあるキャラクターだったのでしょう。裏の考察を踏まえて再び作品を見てみると、見える景色も変わるかもしれませんね。

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