大沢あかねさんは、2009年にお笑い芸人劇団ひとりさんと結婚。子供を2人出産しています。2010年には女の子、2016年には男の子を出産しています。

タレント活動の傍ら、私生活も順調そうですね。お子様のこと、そして大沢あかねさん自身の子供時代のことを調べてみました。

大沢あかねの子供の名前は千花ちゃんと咲也くん!年齢は2歳と8歳!

大沢あかねさんは2016年に7月の公式ブログで、第2子の誕生を報告しています。

この度、7月13日に第二子が誕生致しましたことをご報告させて頂きます。
母子ともに健康で2820グラムの元気な男の子です。

長女の千花(せんか)と力を合わせれば、千の花も咲く也という想いから咲也(さくや)と命名しました。

第2子である長男咲也くんの誕生を公表。長女さんの名前は千花ちゃん。いずれも花にちなんでいます。素敵な名前ですね。

水曜レギュラーを務める日本テレビ系情報番組『スッキリ!!』(月~金 前8:00~)に電話出演して、旦那様の劇団ひとりさんも出産に立ち会えたことを報告しました。

劇団ひとりさんはカメラと三脚もスタンバイしていたようです。長男誕生の喜びはひとしおのようで、

「ものすごく喜んでて、40(歳)前のおじさんが赤ちゃんを目の前にすると、赤ちゃん言葉がすごく出て、気持ち悪いですけど…」

とは言いながら、病院と仕事と長女千花ちゃんのお世話と大忙しだった劇団ひとりさんに、

病院に来て、仕事に行って、長女の面倒も見て、主人が一番大変じゃなかなと思って、すごく感謝しています

さらに、お姉ちゃんになった長女千花ちゃんが弟咲也くんのお世話をしたくて、

長女がものすごくお姉さんという意識があって、おむつをかえたいとか、任せてとか、それが感動ですね。

4人でコミュニケーションが広がってうれしいですね。

2016年生まれの咲也くんは2018年では満2歳。たぶん、まだ保育園です。

2010年生まれの千花ちゃんは2018年で満8歳。小学校2年生になりますね。

大沢あかねの子供の学校は公立の幼稚園・小学校か?

大沢あかねさんと劇団ひとりさんのお子さんの通っている幼稚園・小学校は確認できませんでした。ですが、公立の幼稚園・小学校に通っているというのが有力な説です。

ママタレントにも派閥があって、神田うのさん率いる「うの会」、坂下千里子さん率いる「坂下会」、そして大沢あかねさん率いる「大沢会」

さすが日本プロ野球会の親分と言われた大沢啓二さんの孫娘。根っから面倒見がいいようで、「大沢会」にはハロプロ出身の辻希美さんや藤本美貴さんがいます。

そのうち神田うのさん率いる「うの会」のメンバーは、伊東美咲さん、ほしのあきさん、倖田來未さんたちの気風は「セレブ」。ご主人も実業家の人が多く、教育にも惜しみなく金をかけるタイプです。

有名私立小学校のお受験のためにプレスクールに通わせているそうです。

一方、「大沢会」の気風は庶民派。セレブぶって見栄をはらずに、普通の人と同じような暮らし向きをするタイプです。子供たちの通う幼稚園も、

辻希美さんの子供→地元の公立の幼稚園・小学校
藤本美貴さんの子供→目黒・若草幼稚園

若草幼稚園は芸能人御用達の幼稚園ですが、月謝は3万8千円(平成29年度)公立幼稚園の平均月謝は約1万円、私立幼稚園は平均月謝が2万5千円です。

平均より少し割高感がありますが、伊東美咲さんのプレスクールは月謝が18万円ですから、それに比べれば、かなり庶民的な感じです。

辻希美さん、藤本美貴さんの「大沢会」のメンバーと同じように、庶民的な学校を選択しているのが有力だと思います。

その地に足をつけた生活感は、大沢あかねさんの壮絶な生い立ちにありました。

大沢あかねの子供時代が壮絶だった…

2009年に出版された自叙伝「母ひとり 娘ひとり」で大沢あかねさんは大変だった生い立ちを包み隠さず打ち明けいます。

大沢あかねさんは大沢親分、大沢啓二さんの孫娘だけに何不自由なく育ったのでは?と思う方もいるかも知れません。しかし大沢あかねさんの大沢啓二さんの前妻の方の孫でした。

大沢啓二さんとは芸能界入りしてから再会し、タレント活動を後押ししてくださったそうです。

実のお父さんが突然、失踪。大沢あかねさんが2歳の時でした。銭湯に行ったまま、帰ってこなかったのです。

シングルマザーになったお母さんは、女手ひとつで大沢あかねさんを育てます。

昼はトラックの運転手、夜はスナックづとめ。3歳の時から昼間は寝て、夜はお母さんが務めるスナックへ一緒に行く昼夜逆転の暮らしでした。

お母様は恋多き女でした。お母様が新しい男の人と交際する度に「早く別れろ」と敵意を持っていたそうです。

9歳の時、芸能界デビュー

大沢あかねさんが芸能界を志すようになったのは、祖父大沢啓二さんが北島三郎さんと一緒に「兄弟仁義」を唄う姿をテレビで見たときからでした。

地元関西のテレビのオーディションに合格。エキストラの仕事からスタート。東京にも徐々に仕事ができてました。

中学2年生の時に「天才テレビくん」で一躍全国区に。関西人らしい明るいオモロイキャラで人気者に。大阪に帰った時も声をかけられるようになりました。

そのあとローティーン向けのファッション雑誌「ピチレモン」のモデルに母子いっしょに大阪と東京の往復の交通費でモデル代は赤字。安いモーテルに何度も泊まったといいます。

中学を卒業後、親子で東京に引っ越し。小さなアパートに親子2人暮らし。華やかな雑誌の世界と、現実の生活とのギャップに苦しみました。人目を気にしながら、アパートに帰る日々

雑誌モデルの仕事が終わると、パタリと仕事が途絶えます。女優、モデルとしても全然オファーなし。しかし、芸能界以外でやっていく自信も無く…。

「これでダメなら芸能界引退」と背水の陣で、苦手だと思っていたバラエティーに挑戦します。それが「クイズ・ヘキサゴン」でした。

トンチンカンが解答を連発するおバカキャラで大ブレイク。現在につながります。

家庭のぬくもりに恵まれず、経済的にも厳しい子供時代を過ごした大沢あかねさん。それだけに家庭を大事にし、庶民的な暮らしぶりを忘れない姿勢、すばらしいです。

劇団ひとりさんはいい人を奥さん持ちましたね、幸せ者です。

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