野球で結果を出すだけではなく、人格面も優れていて、人としても素晴らしいと世界中で愛されている大谷翔平さんは、いったい両親にどのように育てられ、どんな家庭環境で育ったのか?気になりますよね。

スポーツ選手の両親から生まれ、3人兄弟の中でのびのび育った大谷翔平さんの家族エピソードや、ご両親の意外な教育方針も合わせて調べてみました。

大谷翔平の家族構成は5人【家族写真】

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大谷翔平さんの家族は5人です。家族構成は、父親・母親・兄・姉・大谷翔平さんです。

大谷徹
おおたにとおる
1962年182cm元社会人野球選手(三菱重工横浜所属)
中学硬式野球チーム監督
大谷加代子
おおたにかよこ
1963年170cm元バドミントン選手(三菱重工横浜所属)
焼き肉屋パート従業員
長男大谷龍太
おおたにりゅうた
1988年187cm元社会人野球選手(トヨタ自動車東日本所属)
選手兼コーチ→専業コーチ
長女大谷結香
おおたにゆうか
1992年168cm元バレー部
看護師
次男大谷翔平
おおたにしょうへい
1994年193cmプロ野球選手
メジャーリーガー
大谷翔平の家族構成

一家全員がスポーツに携わっているエリート家系です!

大谷翔平の両親

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大谷翔平さんの父は元社会人野球選手、母は元バドミントン選手で、両親ともスポーツ経験者です。スポーツの適性をご両親からしっかりと受け継いでいることが分かりますね!

父親は182cm・母親は170cmでどちらも身長がかなり高いですよね。大谷翔平選手の体格が恵まれているのも、ご両親のおかげでしょう。

大谷翔平の母の職業は元バドミントン選手

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大谷翔平さんの母親は、大谷加代子(おおたにかよこ)さんといいます。旧姓は熊沢です。1963年生まれで、身長170cmもあります。女性の中では、かなり身長が高いですよね。

体格に恵まれているスポーツ選手と並んでも、それほど違和感が無いくらいです。

母親の大谷加代子さんは、幼少期から運動神経が抜群。中学時代にバドミントンを始めてみたところ、あっという間に才能が開花して、強豪選手に名を連ねるようになりました。

全国大会にも出場し、準優勝を手にします。

その後、バドミントンの強豪校である横浜立野高校に進学しました。朝から晩まで、青春の全てをバドミントンに費やして猛烈に練習に取り組んだそうです。部活は夜8時まであり、さらに1時間かけて帰宅する生活を3年間続けました。もちろん土日も練習があります。

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高校卒業後もバドミントンを続ける為、三菱重工横浜に入社し、バドミントン部の選手として活動します。そこで現在の夫・大谷徹さんに出会っています。

国体にも出場していて、バルセロナオリンピック日本代表の陣内貴美子さんと対戦した過去があります。

結婚して6年が経った頃、夫・大谷徹さんの仕事の都合で岩手に引っ越すことになりました。大谷加代子さんは子育てに奮闘しながら、焼肉チェーン店でパートとして働いて家計を助けていました。

シフトは週4~6日で、1日8時間働くこともあったそうです。子育て中のパートとしては、働きすぎている感じがします。一般の主婦よりは、やはり体力があったのでしょうね。

土日休みになるようにシフトを調整してもらって、なるべく子供との時間を過ごすように気遣っていたそうです。焼肉店でのパートは、なんと大谷翔平さんがプロ野球に入団した後も継続していました。

子供に頼りたくない、親として自立して生活したいという気持ちがあったからだそうです。

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大谷翔平さんが幼い頃、母親と一緒に自宅の前でバドミントンラリーをしたり、所属するバドミントンチームに一緒に連れて行ってもらったこともあったそうです。大谷翔平さんはこれがとても楽しみだったんだとか。

大谷翔平の母が亡くなった噂はデマ

大谷翔平さんの母親・大谷加代子さんは既に亡くなったのではないか?という噂がネット上にはあるようですが、これは間違いです。大谷加代子さんはご存命です。

噂の発端はおそらく2点あります。

1つ目は大谷翔平選手が弟のように大切にしていた愛犬が亡くなったことがあり、これが母が亡くなったと勘違いされたことです。

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2つ目は、大谷翔平選手にあやかって「翔平」と名付けられた子(川崎翔平くん)とのつながりにあります。24時間テレビの企画で、大谷翔平選手が会いに行くことがあったのですが、その後川崎翔平くんは病気で亡くなってしまいました。

亡くなった川崎翔平くんに関して、母親の川崎静葉さんがインタビューに答えたり、コメントを出したりすることが多々あり、ニュースやネット記事になることがありました。

一連のワードがこんがらがって、"大谷翔平の母が亡くなったのではないか?" と勘違いした人がいたことから、このような噂が広がってしまったものと考えられます。

また、2022年に史上最年少での完全試合達成で有名になった、同じ東北出身の佐々木朗希選手の情報と混同されていることもあるようです。

佐々木朗希選手は、幼い頃に父親を亡くして母子家庭で育ちました。この情報が混ざってしまい、大谷翔平さんが母子家庭だと勘違いされていることもあるようです。

大谷翔平の父の職業は元社会人野球選手

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大谷翔平さんの父親は、大谷徹(おおたにとおる)さんといいます。

1962年生まれで、身長は182cmあります。元々プロ野球選手を目指して三菱重工横浜の社会人野球チームで活動していましたが、24歳の頃に夢を諦めました。外野手でした。

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現在は、岩手県の胆沢郡金ケ崎町で中学生硬式野球チーム「金ケ崎リトルシニア」の監督として活動されています。

岩手県立黒沢尻工業高校に通っていた学生時代は、甲子園を目指して日々練習をしていました。野球選手は幼い頃からの夢だったんですね。

プロ野球選手の夢を諦めた大谷徹さんは、横浜から実家のある岩手へ戻り、子育てを頑張っていくことに決めました。

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自分のことで精いっぱいで、長男の大谷龍太さんにはあまり構ってあげられなかったことが心残りだった大谷徹さんは、次男の大谷翔平さんには熱心に野球指導をするようになります

大谷翔平さんが子供の頃に参加していた「水沢リトル」「一関リトルシニア」等の野球チームのコーチや監督を自分で引き受けて、指導をしていました。

幼少期の父親の野球指導が、今の大谷翔平さんの基盤を作ったのでしょう。大谷翔平さんは後に「バッティングなど基本的なことは、すべて父に教わった」と語っています。

大谷翔平の両親は現在も岩手在住

父親・大谷徹さんと母親・大谷加代子さんは現在も一緒に岩手県に住んでいます

大谷翔平さんが日本に帰国した時だけ、都内にある大谷翔平さんが購入したタワーマンションにやってきて、身の回りの世話をしてくれるようです。

子供に頼らないようにするために、プロ入り当初はまだ焼き肉屋のパートを続けていた大谷加代子さんでしたが、現在では辞められているようです。

大谷翔平さんの直近の契約金は、10年で7億ドル(約1015億円)です。もうさすがにこれは頼ってもよいでしょう。

大谷翔平の両親の馴れ初め、交際~結婚までのエピソード

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父親・大谷徹さんと母親・大谷加代子さんは、社会人選手として就職した会社「三菱重工横浜」で出会いました

大谷徹さんは野球部、大谷加代子さんはバドミントン部です。

大谷徹さんが入社2年目・大谷加代子さんが入社1年目の時に初めて出会ったそうです。

当時、三菱重工横浜では入社1年目の新人女子社員が野球部のチアガールとして応援に入る習わしがあり、大谷徹さんがいる野球部に、チアガールとして大谷加代子さんが応援しに行ったことがきっかけで恋が芽生えました。社内恋愛がきっかけだったんですね!

順調に交際がスタートして、大谷徹さん24歳・大谷加代子さん23歳の時にご結婚されました。

大谷翔平の両親からの教え、子育て教育方針が意外

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大谷徹さんは、大谷翔平さんに熱心に野球を教えてきました。小学2年生の頃から中学3年生まで、根気強く野球指導をし続けました。

いったいどんな教育をしたらあんなスーパースターが誕生するのか、親の教育が知りたい方も多いかと思います。

野球ノート

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大谷徹さんは、大谷翔平さんが小学生の頃に交換日記「野球ノート」を日々やり取りしていました。交換日記では、父からの野球アドバイスや良かった点・悪かった点をまとめて、それに対して反省を記載したり、課題は何か探したりしていたそうです。

野球ノートには、ほとんどのページに書き込まれている3つの教えがあります。

  • 大きな声を出して、元気よくプレイすること
  • キャッチボールを一生懸命に練習すること
  • 一生懸命に走ること

大谷翔平さんは、今でもこれらの教えを守っていますよね。試合中に大きな声を上げることは有名ですし、見ているこちらまで元気になるプレイをしていることが多いです。

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体を単に動かすだけではなくて、頭を使って、より成長するためにはどうすればよいのか考える癖がこの頃についたのでしょう。思考力や課題解決能力の基礎を幼少期から鍛えたことで、自分で考えて推進していく力が備わっていったのかもしれません。

書くことで頭に入るし、褒める言葉も文章にして紙に書いて残しておいた方がモチベーション的にも良いのではないかと考えてのことだったと、大谷徹さんはコメントしていました。

小学生・中学生時代から、頭一つ分、周りの子たちより背が高くて体格に恵まれていました。

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球速も元々速かったものの、当時はコントロールの悪さに苦戦していたそうです。

ピンチになったときに弱気になり、真ん中にボールを集めてしまって打たれる、といったことが課題としてありました。

大谷家では、これをやれ、あれをやれと指示を出すのではなく、「どうしたら打たれないか?」「どうしたらフォアボールが減るのか?」を自分で徹底的に考えさせ、ピンチになっても簡単には助けずに、自分で考えてやり遂げることを意識した教育方針だったそうです。

やみくもにたくさん練習するのではなく、目的達成するために何が必要なのかを常に考えながら取り組んできた大谷翔平さんは、明らかに同年代より思考量が多かったはずです。

こういった考える力の基盤を培ってきたことと、持って生まれた体格の良さと運動能力の才能が掛け合わされた結果、世界で戦える化け物級のスターが誕生したのですね。

子供の前で夫婦喧嘩をしない

父親・大谷徹さんと母親・大谷加代子さんは、1つだけ決めごとをしていたそうです。それは「子供の前では夫婦喧嘩をしないこと」です。

夫婦ですから色々と喧嘩することはあるかと思いますが、揉めている様子を見せるのは、子供の前では一切やめようと約束していたとのこと。家の中が暗い雰囲気になったり、ピリついた空気にならないようにするための気遣いだったそうです。

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そのおかげかは分かりませんが、子どもたちは3人とも反抗期がなかったのだとか。

穏やかな家庭の空気感が、居心地の良さを作り出し、のびのびと育った結果、反抗期がなかったのかもしれないですね。

大谷翔平は両親に叱られたことがほとんどない

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インタビューで、ご両親は大谷翔平さんを叱ったことがほとんどないとコメントしていました。

一回だけ、ハリーポッターの表紙が破損して癇癪を起こした時に、父親の大谷徹さんが「そんな小さなことで怒るんじゃない」と叱ったことがあったそうですが、本当にそれくらいだそうです。信じられないですよね。

2歳差しかなかった姉と大谷翔平さんは頻繁に喧嘩をしており、2人をまとめて落ち着かせるために叱ることはあっても、大谷翔平さんに対して何かを叱った記憶はないといいます。

大谷翔平さんにとっては、非常に居心地のよい家庭だったのでしょうね。

大谷翔平の兄弟は3人

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大谷翔平さんは、長男・長女・次男の3兄弟の末っ子です。両親だけではなく、兄弟そろってみんなスポーツに関連する人生を送ってきました。

長男大谷龍太
長女大谷結香
次男大谷翔平
大谷翔平の兄弟

大谷翔平の弟(愛犬)は亡くなった

大谷翔平さんの兄弟を調べていると、「弟が亡くなった」という噂が見つかります。

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結論から言うと、大谷翔平さんには弟はいません。

ただ、弟的な存在はいて、それが愛犬のエース君です。犬種はゴールデンレトリバーで、大谷翔平さんが小学1年生の頃に、大谷家にやってきました。

エース君が家にやってきた時、大谷翔平さんは「弟ができた!」と大喜びだったそうです。

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大谷翔平さんはエース君が大好きで、正月に帰省して会えるのを毎年楽しみにしていました。

年末年始にテレビ出演の仕事が入ってしまって忙しくて実家に帰れなくなってしまったときには、「犬に会えない」ととても悲しそうにしていたこともあったんだそうです。

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エース君は、2017年7月に亡くなってしまいました

15歳8か月、人間でいうと115歳のご長寿で大往生でした。

大谷翔平の兄の職業、経歴

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大谷翔平さんには6歳年上の兄がいます。

お兄さんの名前は、大谷龍太(おおたにりゅうた)さんといいます。1988年3月20日生まれで、身長は187cmあります。野球の強豪校である、岩手県立前沢高校出身です。

中学時代岩手県立水沢南中学校の野球部に所属
高校時代岩手県立前沢高校の野球部に所属
2006年クラブチーム「水沢駒形野球倶楽部」所属
2010~2011年高知ファイティングドッグス所属
2012年~トヨタ自動車東日本軟式野球部に入団
2022年~トヨタ自動車東日本軟式野球部の専任コーチ
大谷龍太さんの経歴

大谷龍太さんも野球の才能があり、中学時代から大活躍してきました。いきなり4番を任されていて、チームのポイントゲッターとしての役割を任されていたそうです。

高校では甲子園を目指すものの、最終的に花巻東に負けて出場は叶いませんでした

父親と同じように社会人野球チームで選手として活動してきました。クラブチーム、独立リーグを経て、トヨタ自動車東日本硬式野球部に所属します。

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途中で一度、普通の会社員として就職をしていますが、野球をもっとやりたいという思いから退職して独立リーグへ飛び込みました。その勇気と行動力はすごいですよね。

才能はあったものの、運や環境が噛み合わず、プロ野球選手になることはありませんでした。

もし高校時代に甲子園に出場することが出来ていれば、注目されてプロへの道が続いていたかもしれません。花巻東に進学していたら、違った未来があったかもしれないです。

現在は既に選手を引退し、コーチとして働いているそうです。

兄弟間で6~7歳の差があることから、兄弟で一緒に野球をしていた思い出はほぼないようですが、兄弟仲は非常に良さそうです。

大谷龍太さんが都市対抗野球に2018年に出場した際には、弟の大谷翔平さんから激励メッセージを貰ったとのエピソードが残っています。

大谷翔平の兄は結婚して子供が1人いる

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大谷龍太さんは、2013年12月に結婚しています。結婚相手は一般の方なので、顔写真はありません。

噂によると、元ミス高知に選ばれたことがある美人な方で英語が堪能高知の地方局キャスターを務めていたことがあるそうです。

キャスターをしていたなら写真もありそうだと思い、調べてみましたが、一切出てきませんでした。そもそも確かな情報源があるわけではなく、奥様の情報に関してはあくまで噂レベルしかありません。

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大谷龍太さんには子供が1人います。2016年に男の子が誕生しました。

インタビューで「子どもに野球をやらせたいですか?」と聞かれた大谷龍太さんは、「子どもがやりたいことをやってほしい」と回答していましたが、大谷龍太さんの父親・大谷徹さんは「野球をやってほしい」という本音をこぼしていました。

スポーツエリート一族の血を引いている子ですし、大谷翔平さんという成功事例があるので、野球をやってほしいと期待してしまうのも、仕方ないのかもしれません。

ただ、大谷龍太さんにとっては野球で苦労してきた部分もあるので、子どもに同じ道を歩かせるかどうかは慎重になってしまうのではないかなと個人的には思います。

大谷翔平の姉の職業、経歴

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大谷翔平さんには、2歳年上の姉もいます。

お姉さんの名前は、大谷結香(おおたにゆか)さんです。1992年生まれ、身長が168cmもあり、高校時代はバレー部に所属して頑張っていました。

看護大学を卒業し、現在のご職業は看護師です。

大谷翔平の姉も結婚している

大谷結香さんは、2020年1月に結婚されています。結婚相手は、流石裕之(さすがひろゆき)さんで、大谷結香さんの10歳年上です。

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流石裕之さんは、過去に花巻東高校の野球部で部長を務めていた経験がある方です。花巻東は大谷翔平さんの母校なので、野球繋がりで知り合ったのかもしれません。現在は花巻東高校で教師をしています。

大谷翔平さんが花巻東の野球部にいたのは2010~2012年の頃でしたので、その期間に、関係性が深まる何かがあったのかもしれません。

当初、交際を周りに隠していて、本当に親しい身内と佐々木監督以外は誰も知らなかったそうですよ。周囲の方々にとっては、驚きのカップル誕生だったんだとか。

2020年1月に挙げた披露宴では、大谷翔平さんはもちろん、日本ハムの栗山監督、厚沢ベンチコーチ等々、名だたる野球関係者が集まりました。栗山監督が乾杯の音頭を取ってくれたそうです。なんと豪華な披露宴でしょう。

大谷翔平の両親、兄弟との家族エピソード

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三人兄弟の末っ子として可愛がられてきた大谷翔平さんは、とっても要領の良い子だったそうです。2歳年上の姉が両親に怒られていると、それを見て自分は同じことをやらないようにして怒られるのを回避するような子でした。賢いですね。

服に無頓着すぎて姉にコーディネートされる

子供の頃は散々兄弟げんかしていた姉ですが、もちろん現在では兄弟仲も良好です。大谷翔平さんの洋服のコーディネートをしてくれることもあるようです。

大谷翔平さんは、野球への異常なこだわりはあるものの、自分が興味の無いことに対しては他人事のごとく、何も気にしないそうです。

高校時代のお正月に帰省した大谷翔平さんでしたが、野球以外に興味がなさすぎて、服がなにもなく、その辺にある着れそうな服を拾って、兄のジーンズを借りて友達に会いに出かけて行ったというエピソードがあります。

そんな感じですから、姉の大谷結香さんがTPOに合わせた服装を適宜作ってくれるそうです。

お金に無頓着すぎてプロなのに両親からのおこづかい制

野球選手といえば、派手なお金の使い方をしているイメージがありますが、大谷翔平さんはその界隈とは全くの無縁でした。プロ野球選手となった後も両親からのおこづかい制を続けていたといいます。

月10万のおこづかいで、プロ入り2年間経って貯金が200万円出来上がったそうです。2年間で40万円しか使っていないことになります。月1~2万くらいです。

当時は日ハムの寮で生活していたので、家賃・光熱費・食費等が一切かかっていなかったとしても、貯まりすぎです。遊びに一切興味が無かったのでしょうね。最低限のスマホ代や書籍代くらいしかかかっていなかったのでしょう。

幼少期から、両親にお年玉をもらってもほぼ興味を示さずに「持っておいて」とその場で両親に渡してしまうような子供だったといいます。

年棒がどんどん上がっていっても特に使い道が思いつかない大谷翔平さんは、記者のインタビューで「両親に時計を買おうかなと思っています」とコメントしていました。

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