女優として活躍している芳根京子さんは、過去に難病を克服した過去があります。ギランバレー症候群という10万人に1人の病気で、中学生の頃に罹患しました。

今現在の元気で明るい姿からは想像できませんよね。闘病生活について詳しく調べてみました。

芳根京子はギランバレー症候群に罹っていた

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芳根京子さんは、ギランバレー症候群に罹患していました。

現在の明るい笑顔からは想像できないですよね。

中2で発症して1年間、学校に行けなかった

中学2年生の頃に発症したそうです。なんとそこから1年間もの療養生活で、学校に通うこともできなかったそうです。

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芳根京子さんが通っていた中学校は、公立の東京都杉並区立中瀬中学校です。吹奏楽部に所属して、フルートを担当していました。

中瀬中学校は吹奏楽に力を入れている学校で、小学校時代からフルートをやっていた芳根京子さんは、スカウトされて入部しました。

「参加してほしい」と声を掛けられて、必要とされたことが嬉しかったと語っています。

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この頃の吹奏楽部は、体育会系のノリがあってハードな練習を日々こなしていたそうですが、芳根京子さんは熱中して部活動に打ち込んでいました。

熱が出ても早退せずに、部活には意地でも出ようとしていたとか。

それだけ熱心に部活に取り組んでいた中学校時代に、ギランバレー症候群に罹ってしまい、とてもお気の毒です。

部活の仲間と過ごせる貴重なたった3年間のうち、1年間もの期間が病気に奪われてしまいました。

体に力が入らなくなる難病で、学校に通うことさえできなくなり、治療に専念することになりました。

治療法が解明されていないがほとんどの人は完治する

ギランバレー症候群には、明確な治療法がありません。力が入らなくなる病気なので、仕事はおろか日常生活もままならなくなり、長期間の闘病生活が必要となります。

治療法が無いので難病とされていますが、その一方で、ほとんどの人が完治する病気でもあります。

自然治癒するしか方法がないので、かなり長期化してしまう場合がありますが、それでも完治する病気ということもあり、救いのある難病です。

芳根京子は自然治癒で完治

芳根京子さんは1年間の闘病生活の末、自然治癒で完治しました。

この時のことを芳根京子さんは後に振り返り、ブログに記載していました。

「私も中学の頃に難病になったことがあります。」「実際そうなると、なかなか笑顔になるなんて難しい」「とにかく毎日楽しいことを探してた。気持ちに負けないように」とコメントし、当時の気持ちを語りました。

また、「周りの人と話したり、コミュニケーションを取ることが1番笑顔になれる」と書いていたので、病院で看護師や医者とも積極的にコミュニケーションを取っていたのかもしれませんね。

他に、同じく女優の大原麗子さんがギランバレー症候群の闘病中に亡くなっていることもあり、芳根京子さんは病気を乗り越えたことで、命の重さをあらためて実感したと語っています。

芳根京子が罹ったギランバレー症候群は一体どんな病気なのか?

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ギランバレー症候群は、誰でも発症する可能性がある難病です。発症率は10万人に1人。

よく鶏肉の食中毒(カンピロバクター)に罹った後に、ギランバレー症候群を引き起こすことが確認されており、知っている人も多いかもしれません。

ギランバレー症候群について正確な情報を詳細に知りたい方は、外部の専門家が記載した記事を確認することをおすすめします。

慶應大学病院 医療・健康情報サイト「ギラン・バレー」症候群

症状

症状は固定ではなく、人によって変化するそうですが、手足のしびれ・筋力低下・脈拍乱れ・血圧の乱高下が見られます。

重症化すると自力で立ち上がることすらできず、歩行困難になったり、会話や食事すらできなくなります。

重症化がもっと進むと、寝たきりになって、まばたきすら出来なくなる場合もあります。ここまで進行すると呼吸機能が低下してしまい、後遺症が残ったり、突然死することもあります。

原因

ギランバレー症候群の原因は特定されていません。感染症が原因なのではないかと言われていますが、明確な発症原因は未だ不明です。

風邪や下痢・嘔吐を繰り返すような病気がきっかけで、ギランバレー症候群を発症するケースがよくあります。

治療方法

軽症であれば、自然治癒を待つしかありません。いつ完治するのか先の見えない闘病生活は、精神的にかなり疲弊するだろうと思います。

たった14~15歳でこの難病を乗り越えた芳根京子さんは本当にタフだと思います。

再発の可能性

ギランバレー症候群は、後遺症が残ることはほとんどありません。再発可能性は2%でとても低く、完治してしまえば、安心できる病気です。

芳根京子のギランバレー症候群に対する捉え方

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芳根京子さんは、メディアのインタビューで「難病とは言われているけど、自然に治る病気。今は完治してる」と爽やかな笑顔で回答しています。

さらに「病気の後は急激に足が速くなったり、持久走で1位にになったりしてるので全然支障がない」と明るくコメントしていました。

中学校の青春時代の1年間を奪われたとマイナスに捉えるのではなく、芳根京子さんは元気で前向きな捉え方をしていることが分かりました。

こういった明るい性格だからこそ、芸能界で多くの人に愛されているのですね。

芳根京子がギランバレー症候群を克服できた理由

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中学生でギランバレー症候群に罹ってしまったものの、克服できたのはすごいことですよね。一体、難病を克服できた理由とはどんなものだったのでしょうか。

芳根京子の前向きな気持ち

ギランバレーが発覚した当初は、落ち込んだこともあったと思います。体が思うように動かなくなっていくなんて、恐怖でしかありません。

しかし、正しい病気の知識を得て、いずれは自然治癒して完治するものだと理解し、あまり重い病気だと考えないように前向きに過ごしていたとか。

「難病ではあるけど、自然に治る病気だから」と自分に言い聞かせて、闘病するしかない毎日を何とかポジティブに過ごす努力をされていました。

笑顔になれるように、毎日楽しいことを探す努力をしていて、周りの人と積極的にコミュニケーションを取ったり、お笑いの動画を見て笑うようにしたり…

自分の機嫌を良く保とうとする姿勢は、本当に大人も見習うべきですよね。中学生で自分のコントロールができるなんて凄いです。

影で支えたご両親

闘病中の芳根京子さんを最も支えていたのは両親です。辛い日々を過ごす娘を見て、ご両親が心を痛めなかったはずはありません。

ご両親は毎日、中瀬天祖神社へ行ってお参りを繰り返していたそうです。子供を想う親の真剣な気持ちが、神様に届いたのかもしれませんね。

応援してくれた友人も多かったのでは

吹奏楽部にスカウトされたことをきっかけに、積極的で明るく、前向きな性格に変わった芳根京子さんの周りには、たくさんのご友人がいたはずです。

お見舞いに来てくれたり、メッセージを渡してくれたりしたこともあったでしょう。

闘病する前は部活に熱心に励んでいたので、部活のメンバーからも応援されていたのではないでしょうか。

「早く部活に戻ってきて欲しい」と友人から求められたら、力が湧いてきますよね。

多くの人々の支えがあって、無事に芳根京子さんは難病を克服して完治へ至りました。

芳根京子の芯の強さは難病ギランバレー症候群を乗り越えた自信から来ている?

出典:ABEMA TIMES

10代半ばで、1年間も闘病してそれを乗り越えた経験は、その後の人生観を支える大きな出来事になっていると思います。

ギランバレーに罹った多くの患者は自然治癒するものの、一部はそのまま重症化して亡くなってしまうこともあり、自分がそうなる可能性もゼロではなかったことを認識していたはずです。

命の危機を感じる体験をすると、その後の人生観が大きく変化することはよくあります。

命が有限であることを実感すると、周囲の意見や人の目を気にするのをやめて、自分が後悔しない人生を歩もうと踏み出せるようになります。

10代でこういった体験をしたことで、厳しい芸能界でもやっていける精神力を備えることができたのかもしれません。

芳根京子さんは当時のことを振り返り、「人として、自分はこんなにも周りの方に支えられているんだと。」「こんなにも周りの人に見られていて、生きている。周りの方々に対する(感謝の)思いをすごい感じた」と語っています。

難病を経て、精神的にかなり成長したとコメントしていました。

そして、自分は難病を乗り越えることができたという成功体験が自信になり、バリバリと活躍している現在につながっているのでしょう。

今後のますますの活躍が楽しみですね!

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