ムロツヨシさんの生い立ちは過酷な境遇でした。姉と母親との関係性も色々と問題がありました。

しかしながら順調にグレることなく育ったムロツヨシさんは、精神が人一倍成熟していたのでしょう。

ムロツヨシさんはとてもおもしろく好印象な方で、俳優、コメディアン、演出家として大活躍です。

その明るいキャラクターとは正反対である、暗い生い立ちについてまとめました。

両親の離婚と再婚&再離婚!そして父親との絶縁…明るい振る舞いの裏には葛藤があった

芸能人の幼い頃の苦労話はよくありますが、大体は家が裕福でなかった話が多いと思います。ムロさんの生い立ちは家族の不仲から始まります。

両親と姉とムロさんの4人家族の家に生まれましたが、ムロツヨシさんの両親は4歳の頃に離婚をしています。

そして姉とムロさんの親権は、父親が持つことになりました。

経済力のある父親が子供をみることになったようです。子供は選べなくてついていくだけですので、とてもつらい思いをしたことでしょう。

しかし、その父親がなんと別の女性の元にいってしまい、姉とムロツヨシは祖父母や父方の親戚に預けられて育ってきたそうです。

頼りにしていた父親からも見放され「泣きっ面に蜂」のように不幸がふりかかります。暖かくむかい入れてくれたご親戚がいて本当に感謝します。

父親は他の女性と別に過ごし、再婚。一時期は、アパートを2室を借りて、一室には父と女性家族が、もう一室にはムロさんと祖父母が暮らしていたそう。

また、親戚は、父親の保証人になっていたため、自己破産。そのため、親戚の生活は破綻し、20歳前後から父親に会っていないといいます。

ちなみに、ムロさんが戸籍謄本をとったときに、また父親が結婚していたことを知ったそうです。

戻ってきてくれたと思った父親がまた問題をひきおこしました。これでは子供の心理的環境はめちゃめちゃになるでしょう。

もう父に会いたくないという気持ちに心から同情します。

俳優のムロツヨシ(42)が2018年3月17日放送のTBS系「サワコの朝」(土曜・前7時30分)に出演し、父親への思いを明かした。

父親の再婚相手にも子供が2人いたという。波瀾万丈な子供時代だったが、父親のことは「ずっと嫌いじゃなかったんですよ。

軽べつもしていないです。楽しそうに生きているんだな、この人は」と思いを打ち明け、「仕事が大工でこれがカッコ良かった」と振り返っていた。

最近は親に感謝しているムロさんです。過酷な状況の中から生みだされた明るさと強さを感じます。そして残る母と姉はどうなったのか気になるところです。

離婚後、実の母親と姉の行方は

両親が離婚する前の記憶は「薄いんですよね。でも、実の母とオヤジがけんかしている記憶はすごくあります。

実の母の後ろ姿にトランクに服を詰めている記憶はあります。なんか残るんですね。強い記憶は。そういうのしか残ってないんですよね」と振り返った。

ムロさんが4歳という幼少期において両親のけんかはとても怖かったことでしょう。急な別れという出来事、小さい子供には衝撃的でショッキングなトラウマになりました。

幼く何もできなく母の愛情が一番ほしいときの別れ、本当に辛さが感じられます。

幼い頃に別れた母に関しては、顔も覚えていない。あるのは真っ赤な口紅の記憶だけ。ムロさんが物心ついたときには母親の写真はすべて処分されていました。

「母親を探そうと思えば探せると思うけれど迷ってる」とムロさんはいいます。顔を見たい気持ちもあるんですけど、お話するってことはあちらに失礼というか、あまり良い時間にはならないんじゃないかなと思ってしまうんです。

ムロツヨシさんの本名はとても珍しく、母親が「自分の子供だ」とわかってしまうので、芸名を使っているとのこと。

離婚して、子供を置いて出て行った母親。現在は新しい家族で生活しているそうです。

小さいときのこと思い出すにもわずかな記憶しかない状態です。

ムロさんの母親に会いたいくない気持ちには、今はほかの家庭の中で幸せに暮らしている母親に迷惑をかけたくないという、母親思いの優しいムロさんの気持ちが見えてきます。

4歳の時にご両親が離婚した際には一緒に親戚の家に預けられたはずのお姉さん。ムロツヨシさんより5歳年上だそうです。

離婚当時のお姉さんは既に9歳だったんですね。弟のツヨシさんとは違って母親のことも鮮明に覚えているでしょうね。

そこへきて父親が自分達から離れ女性の元へ行ってしまったのですから、かなり大きなショックを受けたことでしょう。

そして父親の再婚、異母兄弟…。恐らく弟のツヨシさんが受け入れてきたことがお姉さんには受け入れられなかったのでしょう。

いつの日か、お姉さんは住んでいた親戚の家から出て行ってしまわれたそうです。

お姉さんは小学校でいえば4年生の頃、だんだん物事がわかり始めてくる時期です。小学校高学年になればだんだん男女関係のことを知ってきます。

こんな感情が高ぶるときの両親の衝撃的なことは受け入れがたかったでしょう。もうそれ以来あってないそうですが、元気に暮らしていてくれることを望みます。

悲しい生い立ちの中、姉の反抗期の激しさに手を焼いている祖父母を見て育ったムロツヨシは、健気にもこれ以上負担にはなるまいと自制を覚えるようになりました。

この時のことを「あんな家庭に育ったからそういう友達もできた。面白いいえだなぁと客観的に見られる自分もいる」と、今では笑顔で話しています。

とても過酷な環境を体験してきたムロさん、明るく振舞えば振舞うほど悲しみが見えてきます。そんなムロツヨシさん本当に名前のようにたくましく生きている姿が素晴らしいです。

複雑な家庭環境にも屈せず、グレずに進学!東京理科大学に合格

家庭環境が複雑なことでグレてしまう人は多いとおもいます。しかしムロさんはグレることもなく、普通に高校・大学に進学をします。

これも支えてくれた祖父母や親せきの愛情があってのことでしょう。高校は偏差値57ほどの神奈川県立鶴見高等学校に進学します。

大学は一浪してしまいましたが、東京理科大学へ進学しています。

厳しい状況にあっても小さい頃から努力を続けたことはむくわれます。祖父母の愛情をたくさん受け立派に育ってます。おめでとうって心から祝福したいです。

大学中退、役者を志すも長い下積み…諦めなかった男は「踊る大捜査線」に起用された

大学に入学してすぐの頃、手塚治虫原作の「陽だまりの樹」で段田安則氏の芝居をみて強く感激し、役者の道を進もうと決めたそうです。

ムロさんを育ててくれた親せきの経済状況が大変になってしまい、大学を3週間でやめてしまいました

「自分でも謎ですけど、今はその決断をしてくれた19歳の自分に感謝していますね。大学を辞めたことで後には引けないところまで自分を追い込んでくれたと思うので。」

夢を追いかけて役者になることを決心したムロさんは勇気あって素敵です!そしてその奥には親せきを思いやる優しい気持ちが感じられます。

すぐにオーディションを受けはじめたそうですが書類審査すらも通らなかったそうです。

俳優になるにはどうしていいかわからずお金のかからない俳優養成所に入ることにしました。

養成所を卒業してもどこの事務所にも所属をすることが出来ずに小さな劇団の舞台にひたすら出続けました。

夢や希望だけではかなわない厳しい現実に直面します。ここでも努力し続けるムロさんにエールをおくりたいです。

そうこうするうちに25歳。「どうしてもあきらめきれなかった。それどころか、芝居を続けていれば必ず楽しい日々が訪れるという予感は消えない。

その予感のおかげでもう少し頑張ろうと思えました。」

下積みの大変さを貫き通しムロさんの心の中で確信が生まれた瞬間でした。いきいきとした自信が言葉から感じられます。苦しい中で頑張るムロツヨシさん、素敵ですね。

自分を変えるために1年間バイトをやめて、8本の舞台に出演し自分を追い込み、「ムロツヨシ」と自分の名前を連呼して周りに売り込み始めました。

26歳のときに現在のムロツヨシの最大の魅力である「喜劇」に出会います。そして転機はある小劇場の飲み会でした。

そこで「踊る大捜査線」などを手掛けた本広克行監督に出会います。

ムロツヨシはおもむろに監督の隣に座り、この機を逃してはならないと、自分の名前を猛アピール!

「ムロツヨシはこう思います」「ムロツヨシはそうですね」と会話に自分の名前を無理矢理ねじこみ、「しつこいな」と呆れられてもめげずに被せていきます。

その結果「踊る大捜査線」のスピンオフ映画「交渉人 真下正義」に起用してもらうことができました!

そして2005年の映画『サマータイムマシン・ブルース』を足掛かりに映画にも出演するようになりました。

最大のチャンスをいかしたムロツヨシさんから積極的なバイタリティを感じます。ちょっとユーモラスなやり方で監督の心をいとめました。

ユニークで面白いアピールの新しいムロさんが生まれたようです。大舞台にデビューするムロさんって本当にかっこいいです。

幼少時代の逆境にもめげずに明るく乗り越えてきたムロツヨシさん、ファンとしてすごいなって尊敬します。

話題も豊富で面白いと思ってましたが、やはり頭が良くてインテリだったんですね。人を喜ばせ楽しませてくれるムロツヨシさんにますます魅力を感じました!

現在は交友関係も広くて、これからの結婚も期待されるムロさん良い方と巡り合い、そしてさらなる活動を応援していきたいです!

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