ガンダムシリーズ生みの親・富野由悠季監督は、若い頃どんな青年だったのでしょうか。現在では、文化功労証を受賞するなど国に貢献した文化人として活躍されていますが、どのような学生時代、そして恋愛を送ってきたのかプライベートな部分にフォーカスします。

富野由悠季監督の若い頃 ~学生時代~

富野由悠季監督は1941年11月5日、小田原で生まれました。太平洋戦争中ですね。子どもの頃に父親が仕事で作っていた資料や図面を見たことが、アニメ制作の原点になっているそう。

小学校時代「小田原市立足柄小学校」

小学校は、小田原市立足柄小学校に通い、話によれば小学5~6年生の時には宇宙への興味関心が湧いていました。ガンダムの原点でしょうか。「少年」という漫画雑誌を買ってもらい、手塚治虫さんの「アトム大使」が大好きでよく見ていたそうです。

小学生時代は、周囲から孤立することも多かったようです。数学や英語などあまり得意ではなく、勉強は苦手な方でした。

中学校時代「小田原市立第三中学校(現:白山中学校)」

中学時代も、宇宙や航空の空想をするのが大好きだった富野監督は、リアルな条件を計算して緻密に設計した「小田原空港」を作っていたそうです。架空の空港や駅を作り出すのはヲタクあるあるだったりもするので、相当のめり込んでいたことが想像つきます。

また航空関連に興味があったことから、中学時代は東京大学工学部へ行って将来は宇宙開発の仕事に就きたいと思っていたそうです。ただ、数学がどうしても無理だったこと、家庭の経済状況を鑑みて、高卒で社会人になる現実的な道を選びました。なお、画家を目指していたこともありましたが、なかなか絵が上達しなかったことから早々に見切りをつけ、映画製作に興味を持ち始めます。

高卒で社会人になろうと思ったことから、工業高校への進学を志望しました。ところが、理数系が足りなかったのと片耳が難聴で健康診断にも引っかかったことから落ちてしまいます。

高校時代「相洋高等学校(私立)」

神奈川工業高校を受験して落ちてしまったことから、富野監督は神奈川県の私立高校「相洋高校」に進学することになりました(※当時は公立が1校しか受験できなかったため、落ちたら私立に行くしかなかった)。相洋高等学校の偏差値はコースによって幅があり、40~59です。

高校名区分偏差値
神奈川工業高等学校公立45(参考元
相洋高等学校私立40~59(参考元

大学時代「日本大学芸術学部映画科」

▼日本大学芸術学部映画学科(公式)
https://www.art.nihon-u.ac.jp/education/department/cinema/

大学名区分偏差値
日本大学芸術学部映画学科私立大学50.0~57.5(受験方式によって異なる)

高校卒業後は、日本大学芸術学部映画学科に進学します。当時のアメリカのSF映画に憧れてこの道へ進んだといわれていますが、ご本人はとあるインタビューで勉強しなかったから、日大しかなかったとおっしゃっています。「父親のコネで裏口入学した」と本気か冗談かは謎ですが、自嘲するコメントが残っています。

新卒社会人時代「虫プロ」

▼虫プロダクション
https://www.mushi-pro.co.jp/

本来は映画業界を志望していましたが、大手映画会社がもう新卒募集をしていなかったこともあり、就職先がここしかなかったそうです。きっかけは、なかなか就活をしない富野監督を心配した母親が「虫プロ」が募集をしていることを知り、本人に薦めたことにあります。大学から近場だし、もはや演出に関われれば何でもいいやという気持ちで受けたとおっしゃっています。

入社後は、制作進行や演出に携わりました。富野監督はこの時期に、年下スタッフの絵の上手さに衝撃を受け、悩みました。絵の上手さで勝負しても勝てないと悟った富野監督は、自分の戦い方を考えます。「彼らに負けない仕事をするにはどうするか?」考えた結果、誰よりも早くコンテを切ることに辿り着き、「コンテ千本切り」「さすらいのコンテマン」等の異名をつけられるようになっていきました。

富野由悠季監督の若い頃 ~亜阿子さんとの恋愛~

出典:Amazon

文化功労証を受賞するまでになった富野監督の若い頃はどんな恋愛をしていたのでしょうか。現在、結婚されて2人の娘さんがいらっしゃいますが、奥さんとの関わり方もやはり特殊でした。奥さま「亜阿子さん(阿々子さん)」との出会いを著書の中でこう語っています(※亜阿子は仮名で、富野監督が奥さまの話に触れる際に使用する名称です)。

そうして出会ったのが、現在の女房だった。

僕は、フリー稼業だから生活の自信と保証はないとはっきり言った。妻は、大店の娘だったが店がつぶれて、今はレース編みで食べているから貧乏は平気だ、と答えた。

それが僕にとって決断する大きな決め手となった。なにかロマンチックな話をしたというような記憶はない。お金の話がきっかけだった。これ以上ないリアリズムに則った始まりだった。

『「ガンダム」の家族論 』P.78より引用

ロマンチックな恋愛とは違って、現実を見て生活を共にする決意をしています。「貧乏は平気だ」と、奥様はかなり肝が据わっている印象です。カッコいい女性です。

自分の好みを言わないで結婚した僕は、結婚してから十年間我慢をした。

なにを我慢したかというと「あんまり好きなタイプじゃなかったんだよね」ということを言わないようにしたのだ。

僕は相手を好きになるように努力した。そして十年経った時、ようやく亜阿子(注:奥さんのこと)を好きになれた。その十年は長いようにも思えるけれど、振り返ってみればそれほど長くも感じなかった。「これなら我慢できる」と思って結婚したのだから耐えられたのだろう。

そしてある日、僕は亜阿子にそのことを話した。十年経って、ようやく君のことを好きになれたよ、と。

すると、彼女は「私だってそうよ」と答えた。

『「ガンダム」の家族論 』P79-80

お互いに淡々としていて、不思議な関係ですね。

富野監督の若い頃を振り返ると、自分がどこでどんな風に戦えば有利になるか考えてポジションを探していく賢さを感じます。

興味を持っていても、自分の能力値では無理だと思ったら潔く諦める。絵の上手さで戦ったら勝てないから、自分はスピードで勝負をする。元々そういうサッパリした気質だったのかもしれませんが、我々としても生きていくヒントになりそうです。

ぼーっと生きていると、自分が不得意だったり不利な土俵で戦わされて、疲弊してしまうことも多々あります。良いポジションを見つけて、そこで尖った努力をする生き方を真剣に考えてもよいのかもしれません。

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